「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」というタイトルを書店で目にして

書店で「本屋大賞」とのポップがつけられ本棚に納められていたこの本。このタイトルが書かれた表紙を見たとき、「あぁ、知ってるぞ」と、私の中で大事にしていたある経験が思い浮かんだ。

私は20代の頃、ワーキングホリデー制度を使ってカナダに1年と少し、住んでいたことがある。語学習得のため…といった大した志があったわけではなく、更にはもともと考えていた現地での仕事も日本人観光客向けのツアーガイドで、使用言語はバリバリの日本語であった (この話はいつかまた触れたい)。それでも現地での日常生活をスムーズに行うためにも、おそらく多くのワーホリユーザーがそうであるように、3ヶ月間ほど語学学校へ通っていた。

語学学校での私のメインクラスの先生は、視覚障害をもっており授業にはいつもパートナーの盲導犬を連れていた。先生は日本に住んでいたこともあるそうで、日本人生徒の多い私たちのクラスでとても優しく楽しく授業をしてくれた。

そんな3ヶ月の通学期間にも終わりが近づいたころ、私と友人は先生に「私と妻の家がある島に遊びに来ないか」と誘われた (たぶん別荘だったのだと思う)。3ヶ月間毎日過ごした先生との別れを惜しんでいた我々は、「是非!」と返事をし、島で会う約束をした。

調べてみると、その島はアートや手作りチーズなんかが有名らしい。私と友人は一泊二日のその旅行を楽しみに、どこに行ってどんなことをするか、わいわいと計画をした。

島への旅行の当日、先生は港で私たちを迎えてくれた。語学学校内は母国語禁止であったが、ここは学校の外。大きな声で「お〜〜〜い!」と船の上の私たちに手を振り、迎えてくれる先生。傍にはパートナーであるおなじみの盲導犬、そして先生の奥さんがニコニコと立っていた。初めて会った奥さんだったけど、先生と彼女はなんだか雰囲気が似ていてほっこりした。

先生と奥さんと2匹の犬 (盲導犬には彼にそっくりの相棒がいたらしく、先生の家でサプライズ合流) が島のメインどころを案内してくれ、一通りの紹介が終わると「さぁ、何がしたい??」と先生は私たちに尋ねた。私と友人は、あらかじめ立てた計画にそって「○○というギャラリーに行きたいです!」と答えた。先生は「OK!!」と言い、そのギャラリーへと連れて行ってくれた。

その時、私は本当にその事に考えが及ばなかったのだ。たどり着いたギャラリーに足を踏み入れ、壁にかかった作品たちが目にはいったところで ハッと気づく。

「先生はこのギャラリーにある作品を見ることができないんだ」

急に心臓がドキドキした。ギャラリーに行きたいだなんて、もしかするととても失礼なお願いをしてしまったのではないか…。息が詰まるような、そんな気持ちで先生の方に視線を向けると、先生と奥さんはある作品の前に立っていた。

先生と腕をぎゅっと組んだ奥さんは、寄り添い、その作品がどのようなものなのか、どのようなことを表現しているのか、先生に説明している。先生はそれに耳を傾け、うんうん、と頷きながら「Interesting…」と呟いていた。

衝撃が走った。

他者の目を通して作品を鑑賞すること。パートナーの言葉を通し同じものを共有すること。そこにはとてもとても深い信頼でつながる2人の関係性があった。

その夜、私と友人は宿でその日一日の思い出を振り返ったが、二人ともこのギャラリーでの経験は深く心に刺さった出来事だった。私は今でも「Interesting…」と頷く先生の横顔を、思い出せる。

書店で見かけた「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」。手元にはあるのだが、実はまだ目を通せていない。この作品を読む前に、本に書かれた内容にイメージが引っ張られてしまう前に、私自身のこの経験を書き留めておきたかったのだ。

白鳥さんはどのようにアートを見るのだろうか。楽しみだ