数年前まで、私は読書をすることに否定感を持っており、読書を避けていました。そんな私ですが、今は後述するオーディオブックAudible を朝晩の通勤時間に聞くことを中心に、紙の本も読むようになりました。
このエントリでは、そんな読書をしなかった私が、読書も前よりちょっと好きになったよ、という変化をした話を書こうと思います。これは「読書をすべきだ」と説くようなものではなく、読書をしなかった当時、そんな自分をなんとか肯定しようとネットで同じような気持ちを持つひとはいないか調べたのに見つけることができなかったという過去の経験が背景にあります。あの時の自分を思い出し、同じ気持ちの人がこのエントリを見つけたらいいなと思って今キーボードを叩いています。
「読書ってしないといけないの?」というタイトルに対しては
したら役立つこともあるし楽しいかもしれないけど、それは自分で決めること。人に勧められはしても、強制されるものではない。エンタメの一つだから合う/合わないはある。
と思っています。
よかったらお付き合いください。
そもそも何で読書に対して否定的だったの?
読書は正義だという圧
一番の理由としてあったのは、周りの人に言われた「読書をすべきだ」という言葉からひしひしと受け取った「読書は正義だ」という圧だったと思います。社会人になったある時から、「読書をすることは教養として当然だ」「読書をしないなんて信じられない」というような意味合いの言葉を言われるようになりました。それは私を指名して直接言われたわけではなかったけれど、社内の全体メールで日々周知され、読書をする習慣のない自分のことを指摘されているようで、その言葉に反抗心が強くなっていきました。
おそらく実際に「読書は正義」なのだと思います。人々に多くの気づきをもたらし、新しいことを教え、知らない世界を覗かせる、どう聞いても良いものです。しかしだからこそ、「なぜそれをしないのか」と言われたとき、こちらに何か主張があってもその正義には勝てない。読書をしない自分をなんとか肯定しようとすることが、反抗心を強めていったのだと思います。
その頃の「読書なんてしなくてもネットにだいたいの情報やまとめ、答えがあるじゃないか」というものです。ちなみにその考えについては、本以外の情報ソースとして信頼していたツイッターで「本から得られる情報の質とネットの情報の質を同様に思っている奴はどうかしている」というようなつぶやきを見つけ、さらに当時は気持ちがズタズタになりました(笑)
大事な私の時間が吸い取られていく
ではなぜ読書をしなかったのか。一番の理由は「時間がかかるから」でした。
前述の社会人になってから推奨されるようになった読書において挙げられるタイトルは、ビジネス書や自己啓発本、その人の信条に沿った内容を扱った本が多くを占めていました。
今ならわかるのですが、そういった自分の考えの元になる情報を一緒に働く人間にも共有しておくと、同じ知識をもった状態で話を進めることができるので、特にビジネスにおいては話が早くて楽です。
しかし、一般的にそれらの本を読む時間は仕事の時間には含まれません。私は本に限らず漫画なども読むのが遅く、本一冊を読むにもとにかく時間がかかります。そうでなくても、仕事以外にもしなければならないことややりたいことはたくさんあって、日々時間は足りない。「私の時間だぞ!私の好きに使わせろ!キーーー!」という思いがあったのだと思います。
毎日忙しく時間がない、そのくせエンタメは多く時間はいくらあっても足りないのが現代です。そのいくらあっても足りない貴重な時間を、読書に使うという選択はできない、というのが私の判断でした (おそらく前述の反抗心も多分に影響していた)。
そんな私がなぜ読書に手をつけたのか
自分にとって必要な情報を知りたいと思った
頑なに読書に手をつけなかった私ですが、ある時本を手にとった理由は単純でした。それは「知りたい」と思ったということ。シンプルすぎますね。
前の項で「読書なんてしなくてもネットにだいたいの情報やまとめ、答えがあるじゃないか」と考えていたと書きました。しかし、その時私が知りたいことはお金についてのこと、資産運用についてでした。テーマがテーマだけに、ネットではいくらでも情報が出てきますが、自分のお金の使い方を決めるには誰が書いたかわからない情報は信頼しきれませんでした。
そのとき、せめて出どころがしっかりした、信頼できる情報が欲しい…と思い至った先が本でした。公の書店に並べられるようなクリーンな情報で、筆者が自身の名前を添えて出しているものならば、変な物である可能性は低いだろう…という考えでした。
これについては後に読んだ○という本の中で以下のような記述があり「確かにそうだよな」と思った記憶があります。
…ただ、これって前述した私の心をズタズタにしたツイッターと同じことを言っているのですよね。そう思うと当時ツイッターの言葉に傷ついたのは、読書が正義だということに気づいているのと同じように、その言葉が正論だと感じたからだと思います。
私はもともと何かを知ること自体は好きだったので、自分自身が興味のあることを、正しく知りたいと思ったことが、読書に対して最初に向き合った瞬間だったと思います。
貴重な時間を使わない「ながら読書」
あんなに手をつけがたい存在であった読書ですが、自分の知りたいことを教えてくれる存在だと分かったことで、ちょっとハードルが低くなりました。しかし時間がかかるというハードルは残されたままです。
そんな私にとって革命的だったのが通勤時間にオーディオブックをながら聞きする、というスタイルでした。私は毎日通勤に車で往復1時間半をかけており、これを1日の中でもどうしても発生する会社と自宅を移動するための時間として過ごしていました。ここに運転中に「耳で」読書をする、という方法を使うことで、新たに貴重な時間を割くことなく読書をすることができるようになりました。
もともと私は、目的地に向かう電車の中で考え事をする、友人とお風呂でおしゃべりする、といったことが好きでした。これは何かをしながら別の何かが達成されるという一石二鳥のお得感が私の性格に合っているのではないかと思っています。だから、通勤時間にオーディオブックを聞く、というのは私にとてもマッチしたスタイルでした。
読書をしない人にとって、せっかく時間を費やしたのに特に何かを得ることはできなかった…ということになる可能性は、かなり警戒の対象だと思います。なので、貴重ではない時間、つまりはもともと読書のためではない時間を使ってながら読書をするのであれば、時間の消費に警戒することなく、ハードル低く読書をしてみるきっかけになるのではないかと思います。
読書を好きと思えるにまで変化した
結局私にとっては「読書って私の役に立つものなの?時間をかけてまで?」という疑念が一番の読書ができなかった理由だったのだと思います。ビジネス書や自己啓発本などは、読書習慣のない人が他者から読むようにと言われて読むにはハードルが高いものだと感じます。それが最初から「これは読むべきだ」と提示されたことが、私の苦手意識に繋がったのだと思います。
私の場合は、前述の通り「お金」という気になる事柄があり、1冊、2冊、3冊と、読み切ることができたことで、一気にハードルが下がった感覚がありました。そこからは、「時間」「習慣」「働き方」とジャンルを広げていき、いつの間にか嫌だったビジネス書や自己啓発本も読めるようになりました。
読書は「すべきだ」と言われるものではなく、読書をするかは自分にとって必要な物であるかどうかだと思います。私は知りたいという性質と読書がうまくマッチして今は楽しいと思えるようになりました。
もし以前の私のように、読書に苦手意識を持っている方がこれを読んで、読書ができないことに対するモヤモヤが少しでも晴れたらなぁと思います。その上で、読書という一つのエンタメが、自分にマッチするかどうかを試すつもりで、自分の知りたいこと・好きなもののために、貴重な時間を使わない方法で、最初の1冊の本を手にとってみても良いのかな、と思います。
「もともと読書習慣がないやつでも今やこんなことを言っていて、本を読めるようになったんだなぁ。ちょっと試してみようかなぁ」とでも。、もし思ってもらえれば幸いです。